プロフィール~信念の話~
あなたは、自分の選びたい選択を選べてますか?
家族と一緒の時間をとりたいけど、時間がない。
自分の趣味の時間をとりたいけど、仕事が…
そもそも、この選択肢でこの先の欲しい未来が手に入るのか…?
私の信念は「”選びたい選択肢”を選べるようになってほしい」です。
ちょっと、私の母の話をさせてください。
母は長崎の島原のちょーど田舎出身。
母の実家に車で向かった際には
敷地内の入り口が車1台分のぎりぎりの幅のグネグネ通路が待ち構えます。
いつも「こすりそうだ・・」という30Mほどの通路を乗り越えた先に
大きな一軒家があり、その家の4人兄弟の末っ子として母は育ちました。
母の兄弟は歳が離れており、
上の兄弟はすでに家業の建築の仕事をしていました。
また、母の母(つまり、私からするとおばあちゃん)は
病気のため、病院にそのからずっと入院していました。
そのような事情から母は小学生ながら
料理や掃除などの家事をこなしていたそうです。
そんな母が大切にしていたものが3つあります。
それは「関わってくれる人」「親」「子ども」です
母はいつも朝は早く起きて、お弁当を作り、
私たちをたたき起こして、送り出し、夜もおいしい料理で出迎えてくれました。
そこで、母に尋ねたことがあります。
「お母さんは子供のころから料理をやっていて、
今も私たちにおいしい料理を出してくれる。なんで、そんなに上手になれたのか?」と
そこで、帰ってきた答えが
「いや…料理はそんなに好きでも得意でもなくて…
むしろ嫌いなんだけど、あなたたちが喜んでくれるから」と。
また、お母さんがこんなことを言っていたのも覚えてます
「人には自分ができる範囲で良いから、喜ばれることをしなさい」と
例えば”浄水器のフィルターを買うのにネット通販を自分が使えないから困っている”
という相談を受けると母は…自分が代わりに購入して
その人に渡す。とか
自分が抗がん剤で具合が悪いのに
足の悪い友人がいたら送迎などをしてあげたり。と
とにかく、人のために動いていた人でした。
そのためか、母はよくおやつなどの貰い物も多く
私はそのご相伴にあずかることもしばしば。
お母さんが最後の1年、癌の影響で歩けなくなった時には
お見舞いには何人もの人が訪れたのを今でも覚えています。
でも、こんなに人のために尽くし、やさしかった母が亡くなりました。
母は”死にたくない。生きていたい”と言いながら
55歳でこの世を去りました。
母はなぜ、この若さで亡くならねばならなかったのでしょう?
それは日々の”小さな選択”が”生きる”に直結しなかったのだと。
今になって思います。
私の父はちょっとモラハラがひどくて、、、
母に離婚のことを尋ねたときも「経済的に無理だからね…」といって
離婚ができず、ストレスをため続けました。
医師によるガンの転移の見落としがあった時も
母に病院を変えることを勧めましたが
「これまで丁寧に対応してくれたからね…」といって
医師を変えることはありませんでした。
健康食で一時期、ガンが良くなり始めても
その後、徐々に普通の食事に戻り、、、
ガンの数値が上がり始めたときも
「私、継続するの苦手だからね…」といって
健康食に戻ることがありませんでした。
私は医者と父をかなり恨みました。
(今でもまだ、恨んでいるところはありますけど。。。)
しかし、これはすべて母の選択です。
一つ一つの選択が”生きる”につながらなかったのだと
今では思っています。
私は母に生きていてほしかった。
母の”生きる”という選択をかなえたかった。
だからこそ、私はその”選択肢”を正常に選べるためのお手伝いをすべく
現在のマーケティングの仕事をやっています。
正常に日々の選択をするには
・時間
・体調
・マインド
・知識
などが整っていることが重要なのですが
広告運用代行やマーケティングコンサルでは
母が大切にしていた「人とのつながり」を大切にしながら
時間と知識の面でお手伝いさせていただいております。
あなたが今の仕事をやっている理由は何ですか?
もしよかったら、一度お話ししてみましょう^^
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